ゆっくり行こうよ Part.2

独立

昨年、所属していた事務所「ユウセイプランラング」を離れて独立。「きときとヴォイス」を立ち上げました。

公務員からフリーアナウンサーへ転身したのが2008年4月。
実況アナウンサーを目指してスクールに通い始めたのがその1年半前の2006年10月でしたので、14年もの長い間「ユウセイプランニング」にはお世話になったことになります。
ド素人だった私がこうやって喋りの仕事で食べて行けるようになったのも寺西裕一先生のおかげで、心から感謝しています。

2007年1月 濱野圭司アナ主催のカニツアーに初参加 (当時26歳)
寺西先生はじめ、様々な先輩アナウンサーから本当にたくさんのことを教えていただきました

独立を決めた理由は一つではなく、様々な理由が複合してのものでした。

このままではダメになる

ガムシャラに仕事をやり続けた30代。ゆっくり休む間がないほど、仕事がたくさんいただけることは本当にありがたいことです。
しかし、仕事を続けながら色んな思いがありました。

新しいことを学ぶ時間がなかなか取れないことへの焦り。

最も大事にすべき家族との時間がなかなか取れないもどかしさ。

時間の余裕がないことで心にもゆとりがなくなり、精神状態が不安定になっていることへの危機感。

時に訪れる喉の不調。

そして、事務所の後輩たちもどんどん力を付けてきて、頼もしく感じると同時に、その追い上げも脅威に感じていました。

色んな焦りや不安が重なり、

このままでは、早いうちにダメになる。何かを変えないと・・・。

声帯炎と咽頭炎で3ヶ月くらい喉の不調が続いた時期があり、「もし喉が使い物にならなくなってしまった時に、自分には生きていく術がない・・・」と感じたことが一番大きな不安だったと思います。
もし喋れなくなっても家族を養っていく手腕を何かしら身につけておく必要があると感じ、新しいことを学ばないとと思いました。

「自分で色々と探そう。外の世界をもっと見よう。」という思いで独立。しかし、そのタイミングで新しく何をやるというのは全く決めていませんでした。

色々やってみる

独立したタイミングでコロナ禍が襲来。

JリーグやBリーグはしばらく開催中止となり、自然と時間の余裕ができました。
その中で自分とじっくり向き合い考える時間があったのは、今思うととても良かったと思います。

とりあえずYouTube配信を始めてみました。
政治経済などまるで興味がない理系人間でしたが、マネーリテラシーを身に着けるための勉強も始めてみました。

やってみないと分からないこと、気付けないことがたくさんあって、もっともっと勉強したい、スキルアップしたいと思うようになりました。

とにかく色々とやってみることで、自分に合うもの、好きなもの、夢中になれるものを日々探しています。

悩み抜いた末に手放したもの

コロナ禍が落ち着き、6~7月頃から再び色んなスポーツが動き始めました。
そんな中で10年以上実況してきたJリーグ実況も、ここ数年スキルを身につけたBリーグ実況も、事務所を離れても引き続きオファーをいただきました。本当にありがたいことでした。

しかし、すべてをお断りすることに決めました。

本当にこれまであったものを手放してもいいものか、悩みに悩み、迷いに迷っていました。
そこに来た実況のオファー。別の仕事の日程と被り、オファーを受けることができなかったことで、「ああこれは、もうそういう流れなんだな。神様がそう言っている。」と最後は背中を押された感じになりました。

もちろんサッカーやバスケが嫌いになったわけではないし、今でも時間が空いた時にはゲームを見て、同業者の実況スキルに唸り、上達著しい後輩達の実況を聞きながら楽しんでいます。

私もまたどこかで必要とされる時が来るかもしれない。
その時まで自分磨き、スキルアップに勤しみます。
そして、一回り大きくなった姿を改めて評価してくださる人がいればこの上ない喜びですね。

2007年 Jユースカップ決勝 柏U18vsFC東京U18
実況デビューに向けて、長居スタジアムで実況練習

時間は有限。「自分の生き方」を見つめていく中で、昨年後半、考え方に色々と変化が生まれました。 (続く)

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